フェルガナ・ウズベキスタン(2009年10月)
シルクの生産地・マルギラン
樹齢100年の桑の大木 (ヨドゥゴリルク・シルク工場
糸を繰りとり
撚りをかける
「タブラット」
糸の長さと太さを計測する道具
(これは男性の仕事
ザクロ・クルミ・アカネなどの天然染料
(名前は忘れたが鉱物も
(機織りは16~18歳頃から始める
★シルク シルク100%
★アトラス シルク70% 綿30%
★アドラス シルク50% 綿50%
これは織り始めて4ヶ月目。
約8ヶ月かけて 120cm × 100cm の完成品に。
こういった行程を見学すると・・
お高いのもゴモットモ!
と、頷ける(肯ける?)のでした。














13年前、トルクメニスタンで買ったシルク。
(幾らだったか覚えていないが、そう安くはなかったはずである。
13年前というと、まだ景気が良かったのかな。
少なくとも、今みたいな先行き不安な世の中ではなかったんだろうなあ・・ と、13年前の旅がシミジミと思い出されるのでした。
実りの大地、収穫の秋
右を見ても左を見ても、どこまでもどこまでも綿花畑が広がっています。
1人1日・・朝の6時半から夕方の6時頃まで・・100kgくらい摘むそうです。
綿花入れの袋を肩に掛け、ポンポン摘んでいきます。
この袋は、ぎゅうぎゅうに詰めると20kg入るとか。重いだろうなぁ・・・
労賃は1日約8000スム。
町の普通のレストランでビールが1000スムか1500スム(ホテルでは3000~4000スム)
トイレチップが200スムです。(1$ ≒ 1500スム
この賃金が、その労働に見合っているのかどうか・・・
でも皆、陽気で可愛い女の子たちでした。
高校生(カレッジ or リセ)になると、3週間くらい泊り込みで綿花摘みをするそうです。
強制かどうかは聞きそびれましたが、全くの奉仕だそうですよ。
ええーっ 大変ねーーーーー
と思いきや・・・ これが意外と楽しい♪ らしいのです。
出発前にあれやこれやと揃えたり、適当にサボったり、友達と遅くまで語り合ったり・・
もしかして、この時に色々なことを覚えるのかもしれませんね。
ヒマワリ畑も・・

このまま枯れるのを待ち、種を搾って油を採ります。
果てしなく広がるヒマワリの畑を
バスの窓から見た途端
瞬時に、あの切ないメロディが頭に浮かんだのでした。
青い空に浮かぶ三日月
まだ明るさの残る南西の空に、薄い三日月がありました。
旧暦で言えば、今日は9月6日・・
Sky Viewer 今日の星空 によると、この時間の月齢は5.1のようです。

月の左上に木星が見えます。


















ところで。
三日月と星はイスラム教の象徴で、
三日月は「発展」を、星は「知識」を意味しているのだそうです。
バラク・ハーン・メドレッセ (タシケント
(カファル・シャーシ廟より
モスクの尖塔には三日月が・・
フェルガナのメドレッセで、イマームに直接話を聞く機会があり、
(訪問した最初の日本人ということで、彼の部屋でお茶を頂き、ノートに署名を求められました。
その際、「みなさんはイスラムを、どのように思っていますか?」 と。
その話は、またいつか・・・・
遥か 遥かな・・・
14日夜、ウズベキスタンより無事帰国。
穏やかな人々
どこまでも青い空
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◆ 8日 午前2時50分、タシケント空港着。
天頂高くオリオン座が瞬き、
イスラムのシンボルである三日月が浮かぶ。
タシケント ⇔ フェルガナ 50席のプロペラ機(アントノフ24)
フェルガナ空港のセキュリティチェックは非常に厳しく、電池の機内持ち込み禁止。
迷彩服を着た兵士が銃を肩に立っており、係官も迷彩服を着た兵士。
◆ 14日 午前7時40分、タシケント発。
雪を頂く天山山脈
世界遺産はひとつもないフェルガナ盆地で、普通の人々が普通に暮らしている。
あたりまえ・・ ということ。
その本当の意味を、思い知った旅だった。
続く・・・・
魅惑のフェルガナ

中段の白色は清く美しい国土
下段の緑色は実り豊かな農業
間の赤い線は独立と主権を守る決意
1991年に制定された国旗。
三日月と星はイスラム教国であることを、12の星は国を構成する12の州を表わしている。
フェルガナ に5連泊し、
クヴァ・アンディジャン・ナマンガン・コーカンド・リシタン を訪れます。
その後タシケントに1泊し、14日の夜帰国です。
1996年9月(旧ソ連から独立して5年目) ウズベキスタンとトルクメニスタンに行きました。
ウズベキスタンを出国したものの、トルクメニスタンに入国できず
(ヴィザ取得方法が急に変更になったとか言われて・・・
丸一日、そのどちらの国でもないところで待たされた。
アムダリア川の水を沸かして紅茶を入れてくれた、気のいいウズベク人の運転手・・
どこからともなく食べ物を調達して来てくれたっけ。
パンをくれ、指圧(?)をしてくれたトルクメンの親子・・
ウズベキスタンへ入国待ちのバスの中から飴をくれた、綿花摘み出稼ぎのイラン人・・
いろいろなことが懐かしく思い出されます。
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