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国外旅・バルト三国(2)

2013年7月15日 (月)

バルト三国の旅 - 第8日・§2 -

6月7日(金)

ホテル bus → アングラ風車群 shoe shoe bus → キヴァツ港 ship →ヴィルツ港 bus bus →タリン shoe shoe shoe

 

 アングラ風車群 → キヴァツ港 → ヴィルツ港 → タリン (聖ニコラス教会→カドリオルク公園→歌の原 

 

* 聖ニコラス教会

1230年、ドイツ商人が教会 倉庫として建てた。

(聖ニコラスは、商人と船乗りの守護聖人。

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素晴らしいパイプオルガン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                                              ロシア軍による爆撃で崩壊。

その後、1984年に改修され、現在は博物館とコンサートホールになっている。

 

* 「 死のダンス 」 

リューベック出身のドイツ人、ベルント・ノトケの作品 (聖ニコラス教会所蔵)

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この画の意味するところ・・

この世にあるとき、王族、貴族、僧侶、農奴など異なった身分であったとしても

死んでしまった後は、身分や貧富の差なく「無」に統合されてしまう・・ という死生観。

実におどろおどろしい。

(ガラス越しのため画像は薄らぼんやりなのが残念。大きな作品で、実際は、とても素晴らしい! 

 

 

* カドリオルク公園

(カドリ = エカテリーナ   オルク = 谷

北方戦争に勝利しバルト地域を手に入れたピョートル大帝が、

妻エカテリーナのために造った離宮と庭園。

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衛兵さんは微動だにせず・・ 

 

 

 

 

 

 

 

* 歌の原

1960年完成。

5年に一度、民族衣装を着た何万人もの合唱団と聴衆が集まる「歌と踊りの祭典」の会場。

1988年9月・・

この歌の原に30万人が集い、

ソ連によって歌うことを禁止されていたエストニア国家を大合唱し、ソ連からの独立を求めた。

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ビリュニスの歌の原と同じ、階段状の大きなステージ・・ 3万人の人が立てるという。

その後ろにはバルト海が広がっている。

 

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ステージを見下ろす斜面に座る人あり。

エストニアの第2国歌の作曲者、グスタク・エグレンサツ

何をか想ふ・・・  

 

 

 

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翌1989年8月23日 「人間の鎖」

 

そして、2年後の1991年、独立を宣言。

まさに、歌による革命!

 

 

 

 

 

 

* セグウェイで走る人あり

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何年か前、「夢の乗り物」とか言ってたなあ・・ 健在だったとは・・!

 

* 夕食

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  delicious ホテルでビュッフェ

自分なりに体裁よく盛ってみた~  good scissors

 

食後、ホテル隣接のショッピングモールへ。

地下の食料品売り場で、お土産に買っていきたいものをあれこれ下見。

エストニアは なので、ふむふむ ××円くらいね、と検討がつくのでなにか安心。

買い物は明日でいいや・・ 

馴染みのない通貨だと換算がやっかい。

(リトアニア(リタス)とラトビア(ラッツ)で現金を使ったのは、食事のときの飲み物代くらいだが。

だがこの三国、特にエストニアはカード社会で、どんなに小さな買い物でもカード支払いである。

clip clip clip clip clip clip clip clip clip clip clip clip clip clip clip

 

部屋にアイロンがあった。

帰るときに着るブラウスにアイロンをかけて、クローゼットにぶら下げておきましょう。

(いかにも主婦である。

アイロン台は壁に据え付けられており、安定感はないが、まずはこれでヨシ!

OFFボタンを押す。

が、3個ある壁のランプは赤が点灯したままで、アイロンは熱いまま・・・

左端のランプに 15min とあったので、15分で自然に切れるのかなとは思ったが心配になり、

YASUKOさんに電話。

(アイロンなんかかけるぅ~!? と、思っただろうなあ、、、、、

ふと足元を見るとコンセントがあり、プラグを貫けばOKかも・・・  OK!

 

リガでスーツケース、タリンでアイロンと、お騒がせな客で ス・ス・スイマセーン m(. ̄  ̄.)m

 

 

         おやすみー sleepy sleepy sleepy sleepy sleepy                  -- SAKOS VIRU -- 

2013年7月14日 (日)

バルト三国の旅 - 第8日・§1 -

6月7日(金)

ホテル bus → アングラ風車群 shoe shoe bus → キヴァツ港 ship →ヴィルツ港 bus bus →タリン shoe shoe shoe

 

 アングラ風車群 → キヴァツ港 → ヴィルツ港 → タリン (聖ニコラス教会→カドリオルク公園→歌の原

 

昨日の牢獄とライオンの話はどこへやら・・ すっきりと目を覚まし、朝食前に散歩に出る。

何しろ爽やかで気持ちいい!

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願いごとの石

この穴に願いごとするらしい。

大体がお金(コイン)が入っていた。

(願いはいずこも同じ・・ か?

 

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非常な肉体美の男女の銅像 (@ホテル前

大漁だったらしく、船の中は魚がいっぱい。

水辺や芝生の上に、

こぼれ落ちた(?)魚がころがっている。

なんとも愉快!


                               

 

 

* 朝食を美味しくいただいて、本日も快調に、いざ出発~

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* アングラ風車群

20世紀初頭、サーレマー島には約800基の風車があり、

アングラ地区には219戸の農家と12基の風車小屋があったが、現在残っているのは5基のみ。

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風車はオランダ式とエストニア式があり、

丸屋根のオランダ式は屋根の部分のみ、三角屋根のエストニア式は小屋全体を、

いずれも風向きによって、手動で回転させる仕組みになっている。

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1基のみ残るオランダ式風車

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エストニア式風車

 

 

 

 

 

 

 

* キヴァツ港 → ヴィルツ港

土手橋を渡ってムフ島のキヴァツ港 → フェリーに乗って → ヴィルツ港へ。

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夏のバカンスシーズンになると、

「夏のサーレマー島はフィンランドの領地」と言うくらいにフィンランドの車が多いそう。

 

タリンまでの道の両側には広大な農地が広がり、コウノトリの巣や姿も散見する。

タリンまで2時間弱、予定より40分ほど早く到着。

 

* タリン

タリンはバルト海最大の港湾都市。

1000年前にエストニア人によって拓かれ、その後、デンマーク人の町に・・

(タリンとは、エストニア語で「デンマーク人の町」という意味。

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スウェーデンが支配した時代(リヴォニア戦争(1558年)から18世紀の始めまで)は、

幸福なスウェーデン時代 と呼ばれているいるそうだ。

 

 

* 昼食(@Grill house danube Restaurant)

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delicious 野菜スープ delicious ミートボールとリゾット delicious アイスクリーム 

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             続く・・・・ 

2013年7月12日 (金)

バルト三国の旅 - 第7日・§2 -

6月6日(木)

ホテル bus → エストニア側国境 bus → ヴィルツ港 ship →キヴァツ港(ムフ島) shoe shoe shoe bus → サーレマー島

 

 ヴィルツ港 → ムフ島・キヴァツ港 → サーレマー島 ・クレッサーレ城

 

* サーレマー島

エストニアで一番大きい島。

(バルト海でも2番目に大きな島とのこと。一番大きい島は・・・???

人口約32000人。

自然豊かな島で、約1200種の植物(エストニアにある植物の約80%)が確認されている。

今は穏やかな島だが、かつては海上交通の要衝として近隣諸国の支配を受け、

(1227年にドイツ騎士団 1561年にデンマーク 1645年にスウェーデン 710年にロシア 1940年にソ連

ソ連時代には、サーレマー島やムフ島は閉鎖状態となり、

外国人の入島は許されず、島民がエストニア本土と往来するにもビザが必要だった。

 

 

* ムフ島から橋を渡ってサーレマー島へ

橋といっても全長3.5kmの土手道・・ (現在は舗装されている。

1896年、今から120年近くも前に造営されたというのは驚きである。

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* クレッサーレ城

エストニア人の要塞だったところに、

ドイツ騎士団が城と城壁(長さ625m・高さ7m)を造り、デンマーク支配時代に砲台を強化。

スウェーデン支配時代に概ね現在の姿になる。

ロシア支配下に入るが、19世紀後半、ロシアはサーレマー騎士団に売却。

その後は公立の貧救院として使用されたこともある。

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多くの国に支配されながらも大きな戦火に巻き込まれることがなかったため、当時の姿をよく留めている。

礼拝堂、大司教の寝室、謁見室、ビールの醸造所、牢獄、ライオンの部屋 ..... etc

 

* 牢獄とライオンの部屋・・ 

牢獄の床は鉄柵になっており、10mほど下にライオンがいる。

その鉄柵を開け罪人を突き落とす・・ と、下には腹ペコのライオンが・・・

罪状はどのようなものだったかは知らないが、いつの世も支配者というのは残酷なものである。

  

*大司教と若い女性のナントカ・・

なんだか恐ろしげな話がある。

観光地によくある、顔のところがくり抜いてある記念撮影用の代物があり

それがまた、この場所に全く似合わぬ風情でポツンと置かれてあり

でもやはり、面白がって顔を入れて記念撮影(?)するご夫婦もいて・・・・

まあそれなりに存在価値はあるのだな・・ と、思いもしたのだった。

 

外に出ると爽やかそのもの。

ヨットハーバーの向こうに見えるホテルへチェックイン。

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* 夕食

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delicious ホワイトアスパラガスのクリームスープ delicious ステーキ delicious ポテトオムレツ 

delicious フルーツ delicious 紅茶

 

外は、まだまだ明るい。

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  お休みー  眠くはないが・・・ sleepy sleepy sleepy sleepy sleepy        -- SAAREMAA SPA HOTEL MERI --

2013年7月11日 (木)

バルト三国の旅 - 第7日・§1 -

6月6日(木)

ホテル bus → エストニア側国境 bus → ヴィルツ港 ship →キヴァツ港(ムフ島) shoe shoe shoe bus → サーレマー島

 

 ヴィルツ港 → ムフ島・キヴァツ港 → サーレマー島 ・クレッサーレ城

 

* 早めの朝食後、エストニアに向け出発~

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* 国境

ノーッチェックでGO!

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* ヴィルツ港

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爽やかな風・・

真っ青な空・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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乗船を待つ車の列

いろいろな国のナンバープレート

(どれが何処の国かは知らねども・・・

 

 

 

 

 

* 乗船開始                                                                                      

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サイクリングのワカモノも多い。

 

 

 

 

 

バルト海は波穏やか。

デッキに出て海を眺める暇も有らばこそ、あっという間(30分)にムフ島に到着。

現地の人(多分)は、この30分の間にレストランで食べたり飲んだり。

(到着5分前には原則、車に戻っていなければならないというのに・・ お忙しいことだ。

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* ムフ島 (面積約200k㎡

エストニアは1500以上の島がある。

ムフ島は、その1500以上ある島の中で最も保存状態のよい村といわれている。

(現存している家屋の殆んどは18~19世紀のもの

島民は約1900人。

漁業や観光業で暮らしている。

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* 昼食

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K A W A I I (世界語) 店内lovely  lovely  lovely

 

 

 

 

 

 

民族衣装の K A W A I I 娘さんがサービスしてくれる。                                                                                                                            

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delicious サラダ delicious チキンフィレのステーキ delicious アップルケーキ delicious 紅茶(オレンジフレーバー)

 

レストランの隣にあるお土産物屋さん

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シャモジやバターナイフ、スプーン、フォークといった木製品(杜松の木

可愛らしいカップ、この地方の衣装を着けたお人形

手編みの手袋、レース編みのブレスレット etc.....

お店の中も人も品物もゆったりと穏やかで、いい感じ notes

 

*ムフ 野外博物館

18世紀から19世紀、そして今現在も人々が暮らす生きた博物館。

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石造りの外壁に茅葺の屋根・・ 

夏場のキッチンは茅葺ではなく、燃えにくい木の屋根(桧皮葺?)になっている。

 

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井戸

フィンランド式サウナ 兼 羊小屋

 

 

 

 

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石積みの塀の上に逆さに置いてある船

引退した漁船で、夏至の日に焼いて供養(天に返す)する。

いい話だなあ、、、 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

 

 

 

作家ヨハン・スムール(1922年生まれ)の家 (・・22人の大家族

今は使われていない小学校

民族衣装展示館.... 等々  

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日本の風土とは全く異なっているのに、なぜか懐かしい。

 

 

            続く・・・・

2013年7月10日 (水)

バルト三国の旅 - 第6日・§3 -

6月5日(水)

リガ旧市街散策 shoe shoe shoe shoe shoe shoe shoe shoe

 

リガ大聖堂 → 聖ヤコブ教会 → 大ギルド・小ギルド → 猫の家 → 聖ペテロ教会 → 市庁舎広場

→ ブラックヘッドギルド → ラトビア民族郊外博物館 → ユーゲンシュティール建築群

→ リガ城 → 三兄弟の家 → フリータイム (中央市場 → 聖ヨハネ教会 → 聖ヤコブ教会 → 工芸博物館)

→ パイプオルガンコンサート(@リガ大聖堂)

 

* 昼食(@KIPLOKU KROGS)

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delicious クリームスープ delicious 魚のソテーとリゾット delicious フルーツサラダ delicious 紅茶

 

昼食後、パイプオルガンコンサート(@大聖堂・19時開演)までフリータイム。

一度ホテルに帰る人と別れ、とりあえず添乗員プランに同行。

 

* 中央市場

聖ペテロ教会の展望台から見えた、かまぼこ型の屋根の建物。

肉、魚、野菜、お惣菜、パンetc...... 活気溢れる市場。

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素敵な笑顔!

 

 

 

 

 

 

* 聖ヨハネ教 → 聖ヤコブ教会

 大聖堂前に18時50分集合、ということで一時解散。

 

* 工芸博物館

聖ヤコブ教会からはちょっと遠いが、町歩きを楽しみつつ「工芸博物館」に行ってみることにする。

まずは聖ペテロ教会を目指す。

この近くだが・・ と、地図を縦にしたり横にしたり・・ (なんせ老眼なものでして

 

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地図上では 「1-739」 というレストランの並びになっているのが、それらしきレストランは見当たらない。

SALE と書かれた、うら寂れた建物があり、

その SALE の文字の下に、これまた薄ら寂しく 「1-739」 という文字が見える。

 

2、3軒隣に工芸博物館らしい綺麗な建物があり、「ここかしら?」とドアの前で躊躇していると、

とても素敵なご婦人が出てらして PLEASE♪ とニッコリ・・

拝観体系が複雑でいまいちよく分からないが、言われた入館料 でOK)を払い中へ。

そのご婦人が解説してくれようとするが、英語なので理解できないのは火を見るより明らか。

We are NO TIME とかなんとか時計を指しながら言ったので、ヘンテコ英語も通じたらしく

OK... と離れてくれたのでヤレヤレと安心し、ゆっくりと拝観。

(時間がないと言ったわりには、ずいぶんゆっくりしてるじゃないの・・ と思ったかもね。

現代作家のパッチワーク、インスタレーション作品。

素晴らしかった。

 

大聖堂まで30分あれば行けるだろうと、まずは市庁舎広場を目指して歩く。

大聖堂の尖塔が見える。

ヨシ!間に合った!

 

* パイプオルガンコンサート

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席が決まっており、粛々と席につく。

満席である。

演奏が始まるやいなや舟を漕ぐ人多数あり。

バッハが好きな私としては、寝ている人の気が知れないのであった。

素晴らしく荘厳、かつ華麗なパイプオルガンから響く、素晴らしく荘厳、かつ華麗なる音。

1時間のコンサートで心身ともに清らかになる。

 

* 夕食(@ARUS ARUSENAS)

   delicious サラダ

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delicious サラダ delicious ツーカス・リビニャス(豚のリブステーキ) delicious クレープ delicious 紅茶

 

 

           おやすみー sleepy sleepy sleepy sleepy sleepy           -- RADISSON BLU DAUGAVA --

2013年7月 9日 (火)

バルト三国の旅 - 第6日・§2 -

6月5日(水)

リガ旧市街散策 shoe shoe shoe shoe shoe shoe shoe shoe

 

リガ大聖堂 → 聖ヤコブ教会 → 大ギルド・小ギルド → 猫の家 → 聖ペテロ教会 → 市庁舎広場

→ ブラックヘッドギルド → ラトビア民族郊外博物館 → ユーゲンシュティール建築群

→ リガ城 → 三兄弟の家 → フリータイム (中央市場 → 聖ヨハネ教会 → 聖ヤコブ教会 → 工芸博物館)

→ パイプオルガンコンサート(@リガ大聖堂)

 

* 市庁舎広場

市庁舎は1756年建立。

1941年の大戦で焼失し、2003年に再建された

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広場の中央

リガの守護聖人であるローラント像

 

 

 

 

 

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ブレーメン市から贈られた音楽隊の像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンザ都市のひとつ、ブレーメンの市庁舎広場にも、この二つの像があり・・ (ブレーメンの方が本家だろうが

ローラントは、かつてイスラム勢力と闘った英雄で、

彼の持つ盾には 我、民に示したるは自由なり と刻まれているそうだ。

 

* ブラックヘッドギルド

大ギルド入りを目ざす独身青年のための商工会議所で、1334年に建てられた。

その後も改築が繰り返されたが、1941年のドイツ軍による空襲で破壊・・

リガ建国800年を迎える2001年のために7億円かけて修復された。

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すっ、すっ、 素晴らしい!

 

 

 

 

 

 

 

* ラトビア民族郊外博物館

広大な土地に18~20世紀の様々な建物、農家の生活用具、風車などを展示する野外博物館。

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森の中、絵を描く子供たち。

 

 

 

 

 

 

 

* ユーゲンシュティール建築群

(ユーゲンシュティールとは・・ ドイツ、オーストリアなどのドイツ語圏でのアール・ヌーボーの呼称

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1710年、リガは帝政ロシアに併合。

行政機関は旧市街の外に移され、新たな都市開発が始まる。

19世紀、新市街にブルジョワ階級がが富をつぎ込み、競ってユーゲンシュティールを建築。

800棟のユーゲンシュティール建築があり、

設計者の中で一番有名なのはミハエル・エイゼンシュタイン。

(映画「戦艦ポチョムキン」「イワン雷帝」の監督、セルゲイ・エイゼンシュタインの父

 

* リガ城

14世紀、リヴォニア騎士団の拠点として建立。

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* 三兄弟の家

15世紀から18世紀の間に建てられた3棟の家で、それぞれの時代の建築様式を見ることができる。

(3匹の子豚の家を思い出すが、兄弟の家ではない。

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建築様式の古い順に右から

 ・ 長男の家 

 ・ 次男の家

 ・ 三男の家

 

 

 

・ 長男の家(15世紀)・・ リガに現存する最も古い民家。

               当時、窓に税金が課されたためまどが小さい。

・ 次男の家(17世紀)・・ 「窓税」がなくなったため窓も大きく、見栄えがする。

・ 三男の家(18世紀)・・ 「間口税」が課せられるようになったため、間口が狭い。

       (いつの世も税金、税金、税金ですなあ・・ 

 

 

 

                         旧市街は見所満載・・  続く・・・・・

2013年7月 8日 (月)

バルト三国の旅 - 第6日・§1 -

6月5日(水)

リガ旧市街散策 shoe shoe shoe shoe shoe shoe shoe shoe

 

リガ大聖堂 → 聖ヤコブ教会 → 大ギルド・小ギルド → 猫の家 → 聖ペテロ教会 → 市庁舎広場

→ ブラックヘッドギルド → ラトビア民族郊外博物館 → ユーゲンシュティール建築群

→ リガ城 → 三兄弟の家 → フリータイム (中央市場 → 聖ヨハネ教会 → 聖ヤコブ教会 → 工芸博物館)

→ パイプオルガンコンサート(@リガ大聖堂)

 

* 気分よく目覚め、気分よく朝御飯を食べ、今日も元気に出発~

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* リガ大聖堂

1211年、アルベルト司教によって建立。

りヴォニア地方(現在のラトビアの東北部からエストニアの南部にかけての地域)の中心をなした大聖堂。

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素晴らしいステンドグラス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* 聖ヤコブ教会

1225年、建立。

1522年にラトビア初のプロテスタントの拠点となり、宗教改革後は再びカトリック教会に復帰。

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尖塔の中ほどに見える突起・・

その昔、罪人を処刑する日に鳴らされた「哀れな罪人の鐘」が吊るされていた。

不貞を働いた女性が通ると鳴ったので、女性たちは夫等に圧力をかけ鐘を外させた・・ とか。

(不貞は女性だけの問題じゃあないと思うんだけど・・・

 

* 大ギルド・小ギルド

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19世紀の商工会議所。

職人、同業者の組合会館。現在はコンサートホールとなっている。

 

* 猫の家

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屋根の上の猫

ギルドへの加入を拒否されたラトビア商人たち。

その腹いせに、大ギルドの建物にお尻を向けた猫を・・

その後向きを変え、今はギルドの方に顔を向けて屋根の上に乗っている。

猫の向きが変わったのは・・

 ① 怒ったギルド側が裁判に訴え、裁判所が向きの変更を命令したから。

 ② コンサートホールになった大ギルドから聴こえてくる音楽に、自ら向きを変えた。

 

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猫さん、猫さん

答えは、さあどっち?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* 聖ペテロ教会

1209年、町人の教会として建立された。

当時は木造だったが、13世紀後半、石造りになり、現在のものは18世紀のバロック様式。

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教会は火災や第二次世界大戦中の爆撃で破壊され、金色の雄鶏を頂く尖塔も度々倒壊。

現在の建物は戦後、改築されたもの。

 

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教会内には、爆撃を受けた際の写真

焼けた雄鶏

崩落した石材などが展示されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塔にまつわる話・・

塔が立て直された後、建築責任者が塔頂の雄鶏に座ってお酒(ワイン?)を飲み、

グラスを下に投げ落とし、割れた破片の数によって今後、何年その塔が続くかを占った。

その儀式は今でも続いている・・とか。

 

* 聖ペテロ教会の塔からリガの町を一望

(エレベーターで高さ70mの展望台へ

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バルトの真珠と称えられるリガ・・ その名のとおり美しい~ lovely lovely lovely

 

 

    続く・・・・                                                    

2013年7月 6日 (土)

バルト三国の旅 - 第5日・§3 -

6月4日(火)

ホテル bus bus → シャウレイ shoe shoe shoe → 十字架の丘 bus → 国境を越えラトビアへ

 

 十字架の丘 → ルンダーレ宮殿 → リガ

 

* リガ到着

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6時前にホテル到着。

ダウガワ川を挟み、その向こうに旧市街・・ 絶好のロケーション♪

 

* 夕食(@旧市街

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delicious サラダ delicious カーポストゥ・ティーテニス(ラトビア風ロールキャベツ) delicious アイスクリーム delicious 紅茶

 

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まだまだ明るい旧市街

 

 

 

 

 

 

 

今日も今日とて美味しい食事に満足し、川を渡ってホテルへと帰る。

 さて、スーツケースだ・・

というのも、食事に出る時間には間に合わなかったスーツケース。

隣の部屋にはポーターが来ていたので、次のポーターが部屋に入れておいてくれるだろう・・ と。

 部屋に入る。

が、スーツケース見当たらず。

 

ちょっとちょっと、ちょっとおおおおおおーーーーーー

 

英語力はないし、まして電話では アレ だからとフロントへ。

ヘラヘラ英語ながら言いたいことは何とか伝わったらしく、クロークルームを見てくれる。

が、取り置きのスーツケースは無いと言う。

フロントの女性と一緒に部屋へ・・・ しかし、無いものは無い!のである。

 

さあ大変!

 

YASUKOさん(添乗員)と連絡がつき、とりあえずバスローブとスリッパ、洗面道具を頼む。

 

ルームナンバーとスーツケースの数(16名の小さなグループ)に間違いは無いはず。

が、ポーターは我々の部屋にスーツケースを運んだ記憶は無いと言ってる。

全館のセキュリティカメラを再チェック・・ と、事態は大事に。

 

いずれ出てはくるだろうが、今日見つからなければ、明日からは着の身着のままか・・

バスローブに着替え、ベッドに寝転がっていると、ノックする人あり。

(騒ぎになって2時間は経っていたと思う。

ドアーを開けると、ポーターがスーツケースを前に両手を広げ、あったよー♪

346号室にあったと言う。

我々の部屋は646号室・・ 配室表の記入間違いか、ポーターが「6」を「3」と見間違えたのか・・

出てきたからには、そんなことはどうでもいい。

やれ嬉しや~ happy01 happy01  ってなもんである。

YASUKOさん共々(同行者は入浴中)、思わず ψ(`∇´)ψ バンザーイ!ψ(`∇´)ψ

(って、実際にバンザイしたわけではないが。

色々お疲れさま。

ゆっくり休んでね、とYASUKOさんを送り出す。

 

数分後、トゥルルル~と電話。

ホテルからお詫びとして、バーのクーポン、ワイン、フルーツバスケットのいずれかを届けると言う。

いやもう何もいらない。

そういうわけにはいかないと言うので、渋々フルーツバスケットをお願いする。

 

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そんなこんなでリガの夜は深けて(更けて)いったのであった。

(そうは言っても、外はまだまだ明るいのだけれど・・・

 

    おやすみー sleepy sleepy sleepy sleepy sleepy sleepy               -- RADISSON BLU DAUGAVA --

2013年7月 5日 (金)

バルト三国の旅 - 第5日・§2 -

6月4日(火)

ホテル bus bus → シャウレイ shoe shoe shoe → 十字架の丘 bus → 国境を越えラトビアへ

 

 十字架の丘 → ルンダーレ宮殿 → リガ

 

 

* ルンダーレ宮殿

エルミタージュ美術館を手がけた建築家・ラストゥレリが建築し、「バルトのベルサイユ」といわれる。

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帝政ロシア時代。

ピョートル大帝の姪アンナは、当時この辺りを治めていたクールラント公国の大公に嫁ぐ。

1730年にピョートル大帝が死去すると、ロシアの女帝となった。

1737年、夫のクールランド大公が亡くなると、

愛人でロシアの役人だったアーネスト・ヨハン・ビロン公爵にクールラント公国を与えた。

宮殿建設は1736年に始まる。

女帝アンナが死去し、ビロン公爵はシベリアに追放となったため、工事は1740年に中断。

クールラント大公に復帰した1764年、建設工事が再開され、1768年に完成となった。

1795年にクールラント公国が消滅した後は、

エカテリーナ2世の愛人ズーボフが、次にはズーボフの妻の再婚相手シュヴァロフ伯爵の住まいとなった。

(愛人、愛人、愛人と、なんとまあお忙しいことである。

第一次世界大戦中はドイツ軍の野戦病院として、第二次世界大戦時は軍の司令部として使われた。

旧ソ連時代には小学校として使われたこともあった とか。

 

* 宮殿内のレストランで昼食

(18世紀には宮殿の台所だったんだってさー w( ゚o゚ )w

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delicious サラダ delicious チキンフィレのグリル delicious 桃のクリームケーキ delicious 紅茶

(ちょっと離れたテーブルにベッカムを渋くしたような男性を発見し、ポー lovely っとなった人あり。 ワタシではないよー。

 

お腹もくちくなったところで宮殿内見学開始~

 

* 黄金の間

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* グランドギャラリー

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長さ30m。

「黄金の間」と「白の間」をつなぐ公の通路。



                                

 

 

 

 

 

 

 

 

* 白の間

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ダンスホール。

自然や四季を表す彫刻・・ 

なにもかも真っ白!

 

 

 

 

* 磁器の間

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各国から贈られた焼き物。

有田焼も・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* スモールギャラリー

日常用 業務用通路。

とは言え、絢爛豪華な絵画が・・・・

 

* 大公の控え室

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* 薔薇の間

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大理石の壁に美しい薔薇のレリーフ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* オランダの間 → * 支配者肖像画の間

 

* 公爵の寝室 

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全体が緑色(寝台も・・

部屋の窓からは広大な庭園が見渡せる。

 

 

 

 

 

* 公爵の謁見室

こちらの部屋は葡萄酒色・・ 壁はシルク張り。

 

* 大理石の間

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家族のダイニングルーム

 

 

 

 

 

 

* イタリアの間 → * シュヴァロフ伯爵の部屋 → * ビロン家の肖像画と家系図

 

何かも凄すぎて・・ 下々は疲れる、疲れる。

見学を終わり外に出て、ふと見上げたところにコウノトリの巣があり、ホッと和む。

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 一路リガへ。

 リガ到着後に事件(?)が待っていようとは知る由もなく・・・

 

 

      続く・・・・  

2013年7月 4日 (木)

バルト三国の旅 - 第5日・§1 -

6月4日(火)

ホテル bus bus → シャウレイ shoe shoe shoe → 十字架の丘 bus → 国境を越えラトビアのリガへ

 

 十字架の丘 → ルンダーレ宮殿 → リガ

 

* 十字架の丘

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最初に十字架が立てられたのは14世紀頃といわれている。

このような無数の十字架が立てられたのは、1831年と1863年ロシア占領に対する蜂起後。

ロシア軍に処刑されたり、シベリアに送られた家族や友人を追悼するために立てられた。

旧ソ連時代には何度もブルドーザーでなぎ倒され、焼き払われた。

が、その度毎に人々は十字架を立て直し、現在の姿に・・・

(1993年にはローマ法王ヨハネ・パウロ2世も訪れ、祈りを捧げた とか。

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強い日差しの中、草取りをする人・・

 

 

 

 

 

 

十字架の丘を上りきった向こうに教会が見える。

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若者たちもミサを受け、十字架を立てるようだ。

彼らが祈り、願いのは・・・

 

 

 

 

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祈りと願いが込められた無数の十字架・・

(日本語のものも・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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* 国境を越えラトビアへ

いつの間にやら越えていた。

(居眠りでもしていたのかしらん?

 

 

   続く・・・・