バルト三国の旅 - 第8日・§2 -
6月7日(金)
ホテル → アングラ風車群
→ キヴァツ港
→ヴィルツ港
→タリン
アングラ風車群 → キヴァツ港 → ヴィルツ港 → タリン (聖ニコラス教会→カドリオルク公園→歌の原
* 聖ニコラス教会
1230年、ドイツ商人が教会 兼 倉庫として建てた。
(聖ニコラスは、商人と船乗りの守護聖人。
ロシア軍による爆撃で崩壊。
その後、1984年に改修され、現在は博物館とコンサートホールになっている。
* 「 死のダンス 」
リューベック出身のドイツ人、ベルント・ノトケの作品 (聖ニコラス教会所蔵)
この画の意味するところ・・
この世にあるとき、王族、貴族、僧侶、農奴など異なった身分であったとしても
死んでしまった後は、身分や貧富の差なく「無」に統合されてしまう・・ という死生観。
実におどろおどろしい。
(ガラス越しのため画像は薄らぼんやりなのが残念。大きな作品で、実際は、とても素晴らしい!
* カドリオルク公園
(カドリ = エカテリーナ オルク = 谷
北方戦争に勝利しバルト地域を手に入れたピョートル大帝が、
妻エカテリーナのために造った離宮と庭園。
* 歌の原
1960年完成。
5年に一度、民族衣装を着た何万人もの合唱団と聴衆が集まる「歌と踊りの祭典」の会場。
1988年9月・・
この歌の原に30万人が集い、
ソ連によって歌うことを禁止されていたエストニア国家を大合唱し、ソ連からの独立を求めた。
ビリュニスの歌の原と同じ、階段状の大きなステージ・・ 3万人の人が立てるという。
その後ろにはバルト海が広がっている。
エストニアの第2国歌の作曲者、グスタク・エグレンサツ
何をか想ふ・・・
翌1989年8月23日 「人間の鎖」
そして、2年後の1991年、独立を宣言。
まさに、歌による革命!
* セグウェイで走る人あり
何年か前、「夢の乗り物」とか言ってたなあ・・ 健在だったとは・・!
* 夕食
ホテルでビュッフェ
自分なりに体裁よく盛ってみた~
食後、ホテル隣接のショッピングモールへ。
地下の食料品売り場で、お土産に買っていきたいものをあれこれ下見。
エストニアは € なので、ふむふむ ××円くらいね、と検討がつくのでなにか安心。
買い物は明日でいいや・・
馴染みのない通貨だと換算がやっかい。
(リトアニア(リタス)とラトビア(ラッツ)で現金を使ったのは、食事のときの飲み物代くらいだが。
だがこの三国、特にエストニアはカード社会で、どんなに小さな買い物でもカード支払いである。
部屋にアイロンがあった。
帰るときに着るブラウスにアイロンをかけて、クローゼットにぶら下げておきましょう。
(いかにも主婦である。
アイロン台は壁に据え付けられており、安定感はないが、まずはこれでヨシ!
OFFボタンを押す。
が、3個ある壁のランプは赤が点灯したままで、アイロンは熱いまま・・・
左端のランプに 15min とあったので、15分で自然に切れるのかなとは思ったが心配になり、
YASUKOさんに電話。
(アイロンなんかかけるぅ~!? と、思っただろうなあ、、、、、
ふと足元を見るとコンセントがあり、プラグを貫けばOKかも・・・ OK!
リガでスーツケース、タリンでアイロンと、お騒がせな客で ス・ス・スイマセーン m(. ̄  ̄.)m
おやすみー
-- SAKOS VIRU --
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