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思うこと

2014年1月15日 (水)

母語とは

                                                                                                                                                                                                                                      「 祖国からたったひとつだけ持ち出すことを許されたもの 」

 

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異国で生きる厳しさ・・

地域社会で感じる疎外感や差別感・・

置かれた場所で精一杯生き、自らの力で世界を広げていくサリマ。

 

年の初め。

日本語クラブの学習者たちにもまた新しい希望が生まれ、

必ずや、晴れやかな明日があると思えるだった。

 

2013年8月 8日 (木)

核兵器は「絶対悪」

広島へ行く。

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6日。

広島市原爆死没者慰霊式 並びに 平和祈念式

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昨年と同じく遺族席には入らず、会場外の人々と共に祈る。

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8時15分 1分間の黙祷

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「平和宣言」 広島市長

「平和への誓い」  子ども代表

「広島平和の歌」

 

 

 

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4日午後、平和公園内をボランティアガイドさんと2時間ほど回る。

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強烈な太陽と蝉時雨

暑い!

だがしかし、この日はやっぱり暑くなくては・・ ね 、、、、 とも思うのだった。

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原爆記念資料館にある時計

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←  広島への原爆投下からの日数

 

                                                ←  最後の核実験(北朝鮮)からの日数

 (この日数がリセットされることなく、増え続けることを願う。

 

 

 

 

 

 

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平和とは、単に敵意のない状態をいみするものではありません。

平和とは、二度と戦争を引き起こす状況にならないようにすることです。

平和とは、長年の恨みを克服する勇気、復讐心を捨てる意思、和解を達成する決意を持つことです。

被爆者の皆様は、これまで長きにわたり、この大義を持ち続け、気高く歩んでこられました。

努力することで、最愛の人たちの死に崇高な意味を持たせたのです。

 

     ブーク・イェレミッチ 第67回国連総会議長あいさつ(抜粋) 

 

 

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2013年2月20日 (水)

祖国は地球。

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エストニア全土から集まった、数十万人の大合唱で歌われる「我が祖国は我が愛」。

それは、何百年にもわたって、

深く営々と営まれてきた被支配の日常のなかで途切れることなく培われてきた

熱情と言ってもいい祖国への思いそのものだ。

一時の「激情」ではなく、着実な、途切れることのない、ひたすらな思い。

自らの裡で、静かに燃やし続ける「熱」。

それ以外に、この煉獄の世の、どこに、光などありえようか。

 

深々とした森、沼沢地、葦原。

車、船、人の営み。

そしてきらめく海の向こう、微かに弧を描く水平線。

国境などという「線」は、どこにも引かれていない。

 

 祖国は地球。
 
 
 
 
祖国は地球・・・  グッとくるなあ。
 
 
 
 
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梨木香歩の世界が好きだ。
 
 
1959年、鹿児島県生まれ。
 
同志社大学卒。英国留学。児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。
 
 
 
彼女について、作品以外の情報は極めて少ない。
 
このことについて、このように語っている。
 
 
 
私は世の中に作品を提供する者。
 
読み手にはいちばんいい状況で作品と出会ってほしい、読み手の中で物語が柔軟に働いてほしいと思っています。 
 
そのときに作家の顔がちらつくようでは邪魔になりますから、作家の存在は忘れてもらうのが一番いいのです。   
 
作家は作品の黒子であるべきだと考えていますし、
 
作家の顔というのは作品が物語として働いてくれるためには、まるで役にたたないと思うんです。
 
 
 
 
>>読み手の中で物語が柔軟に働いてほしい・・
 
なるほどなあ・・・ 
 
作品は読み手のものということか。
 
とはいうものの、読み手としては、その作家の風貌や生活スタイルを知りたいもの。
 
好きな作家だと尚更。
 
 
                                                                   ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;: ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪
 
 
 
  エストニアの人々が歌う 我が祖国は我が愛
 
 
 
  ≪我が祖国は我が愛≫  リディアア・コイドゥラ (訳 梨木香歩
 
 
 
      我が祖国は我が愛
 
      汝(なれ)に捧げし 我が心
 
      汝(なれ)に歌わん 我が至福
 
      咲き匂う花のごと うるわしき地よ エストニア
 
      汝(なれ)に歌わん 我が至福
 
      咲き匂う花のごと うるわしき地よ エストニア
 
      汝(な)が痛みは我を苛み
 
      汝(な)が喜びは我を酔わす
 
      母国よ 我が父祖の地よ
 
 
      我が祖国は我が愛
 
      父祖の地断じて捨てられじ
 
      よしや百篇この命 落とさん運命(さだめ)に果つるとも 
      よしめ百篇この命 落とさん運命(さだめ)に果つるとも
 
      余所(よそ)の誹りを受くるとも
 
      うるわし汝(なんじ)我が胸に在り
 
      うるわし汝(なんじ)我が胸に在り
 
      母国よ 我が父祖の地よ
 
 
      我が祖国は我が愛
 
      我今はただ休(やすみ)たや
 
      汝(な)が膝下(ひざもと)で夢見たや
 
      我が聖(きよら)なるエストニア
 
      汝(な)膝下(ひざもと)で夢見たや
 
      我が聖(きよら)なるエストニア
 
      汝(なんじ)が鳥らはささやきて 永久(とわ)の眠りを慰めん
 
      我が亡骸(なきがら)は土となり
 
      優しき花ぞ咲き出でん
 
      優しき花ぞ咲き出でん
 
      母国よ 我が父祖の地よ
 

2012年12月12日 (水)

「年寄りひとりは寂しいのか」

昨日(12月11日)の朝日新聞「声」欄より

 百グラムの肉を買いきてひとり食む八十五歳バースデイの宵(よい) 

                      ‐‐ 山本 禎子(いちき串木野市

朝日歌壇(11月19日)に掲載された一首だ。

選者は「リアルな誕生日の食事がこの上なく淋しい」と評した。

そうかもしれないが、私は違う姿を想像した。

85歳で100㌘の肉を食べきることができる。火を使って調理ができる。

何よりも、自分の誕生日のために行動しようとする意欲があり、実行に移すだけの体力がある。

これは素晴らしいことだ。

作者は、85回目の誕生日を自ら準備できることに感謝して、この日を迎えたことだろう。

ごちそうがおすしやお赤飯でなく、肉であることに、私は作者の生にたいするたくましさを感じる。

肉の焼けるおいしそうな香りが漂う中、

鼻歌交じりにいそいそとナイフやフォークを並べているおちゃめなご婦人の姿。

そんな素敵な光景が目に浮かぶのだ。

少子高齢化が進む中、私はできるだけ子どもや孫世代の負担にならず、

自分の力で心豊かに晩年を過ごしたいと願っている。

そんな私にとっての一つのお手本とも言える歌だった。

                      ‐‐ 主婦 永井 恵子 (新潟県長岡市 58)

 

自分で自分のバースデイを祝う宵。 

過日、この歌を目にしたとき、

まるで外国映画のワンシーンのようだなあ・・・ と思い

選者(馬場あき子)の講評に、僅かな違和感を覚えたのだった。

昨日、この投書を目にし そうだ、そのとおり! と、胸の中がすっきりと晴れた。

 

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「寂しい」と「淋しい」 「さみしい」と「さびしい」

どう違うんだろう・・  どう使い分けるんだろうか・・

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ここ を見て、分かったような分からないような・・・・・

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おれっちにはカンケイナイネー

相変わらずのノンキなトーサン

2012年1月16日 (月)

知り合いに声をかけるタイミング

                                                                           
昨日。

NHKのクラシック音楽番組の公開収録会場でのこと。

開演前、何処を見るでもなくボーっと座っていたら

(会場の真ん中通路から見て2段上の座席の階段側

会う時はよく会いますねえ・・  という声。

見上げると、前日も会った ■■先生 なのだった。

                                                                                                                      

というのも昨日の前の日、すなわち一昨日。

近所のスーパーマーケットへ買い物に行き ・・それもチンケな格好で

おつとめ品コーナーでバナナを見ていたら

▲▲さん どーも」 という男性の声がするのである。

こんなところで ▲▲さん と男の人に声をかけられるはずはないが・・ と見ると

■■先生 ・・AZの高校時代の部活の先生・・ なのだった。

あらまあヤダなあ こんなところを見られちゃって体裁悪いわ・・ と思いつつ

「あっ、明けまして・・・・・ 今年もよろしくお願いします」

                                                                                                                        

家に帰りAZに

今ねえ、スーパーで ■■先生 に会った。

おつとめ品コーナーでガサゴソしているとこで恥ずかしかったわ。

と話していて、ふと思い出した。

                                                       

それは10年位前、市内のスーパーでのこと。

あら、あれは ■■先生 じゃあないかしら・・ と何の考えもなしに

   ■■先生~♪

■■先生 は、ハッと振り向き

「あっ、どーも」と照れたみたいな顔・・・

今まさに、試食の爪楊枝を口に、、、、 の瞬間だったのである。

                                                       

知り合いを見かけたら

まずは其の場の状況をよくよく勘案し

一呼吸置いた後

●●さ~ん♪ と声をかけましょう。

経験から得た教訓である。

                                                        

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 はあ なるほど そういうことかあ、、、

2012年1月 4日 (水)

新しい年が始まって思うこと

今年こそ

誰もが 幸せ 思える 平穏な日々 が来る年となりますよう・・・

                                                         

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あせらず 柔軟に 明るく 元気に 笑顔で 過ごしたいと思います。  

     今年もよろしく!                                                  

2011年12月30日 (金)

OTSUKARESAMA

いろいろあった・・・

というか、ありすぎた2011年の年の瀬に思う。

本当に大変な年だったね と。

そして、わかったこと。

人って強いんだね ってこと。

                                                                                                                  

                                                                                                                    Photo                                           

                                            

                            

                                                                                                                                         

                               

                                          

オカーサン 「今年もいよいよ終わりだね・・

         おつかれさま・・」

オトーサン 「本当に大変な年だったねー

        おつかれさまー」

                                        

                            娘の上司 「今年一年よくガンバった!!」

娘 「おつかれさまー!」

娘の後輩 「おつかれさまー!!」

                                   

                                     

                           息子 「おつかれさまっていい言葉だなー

     他の国では何て言うのかなー」

息子の友だち 「OTUKARESAMAで

          通じるようになったりして・・」

                                      

                                             

   み な さ ま

   お つ か れ

    さ ま

   で し た。                                      

                               

                                         

 

夕空の月

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       みなさま 

       よい 

      お年を!

                                               

  O TSU KA RE SA MA !

2011年12月27日 (火)

「許す」ということ

12月23日の朝日新聞「声」欄にあった麗しい話。

                                                        

「母のおかげでいじめも許せた」 パート看護師 杉谷 光子 (福岡県中間市 56)     

                                                       

私は1800㌘の未熟児で生まれ、両股関節脱臼のため今も足を引きずって歩く。

幼い頃にいじめられて泣いていると、

母が「いじめた人を許してあげて」「いつでも笑顔でいてね」と言った。

だから私はひどいことをされ、つらいことを言われても、笑顔ですごせた。

見合い結婚をして、3人の子供を育てた。子供をおんぶしていると、歩けないほど足がうずいた。

しかし若さが私の支えだった。

「あんな体で3人も」と聞こえてくる言葉も、「あんな足でこんな仕事を」という言葉も全て許せた。

母はずっと何も言わなかったけれど、死の半年前に「足を悪く産んですまんやったね」と言った。

私は聞こえないふりをしてお茶を入れた。

お母さん、ずっと私を見ていたから知っていたよね。

私が何度も幸せと言っているのを喜んでくれたよね。

人を許せたから私は幸せになれた。

そのことは母が教えてくれた。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。 ...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。                                                         

                                                        

「冬の像」  佐藤忠良作  井の頭線「永福町駅」コンコース

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1985年、73歳の時の作品。

厳しい寒さに耐えながら凛とした姿で立つ若い女性像。

佐藤忠良さんは永福町に在住されていました。

今年3月30日、98歳で亡くなられました。

2011年12月22日 (木)

夢だったら、、、

この夏、K が南三陸町へ復興支援ボランティアに行った際にお世話になった方から

お米送ったから・・ と、電話があった。

そして、いろいろ話した。

夢だったら、、、 と、何度思ったか分んないよ。

でも夢なんかじゃなくて現実だったんだよなあ・・・

だけどさあ、見ず知らずのたくさんの人たちに助けてもらってさあ・・・

本当にありがたいことだあ・・・ がんばっかんな。                           

                                                       

小さな子供たちも元気に頑張っているとのこと。

その子供たちの5年後、10年後・・ どんなに頼もしく成長しているだろうか。

楽しみだ。                                                

                                                        

復興支援(応援)米 

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送り状を見て、あれ?

独眼流ねこまさむね くんが

復興へ頑張ろう!moon3 みやぎ と、いざ出陣!

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検索してみると、宮城ヤマト運輸の送り状サービスの取組み とあり

ヤマト運輸の震災復興応援バージョンの送り状なのだった。

福島、岩手のヤマト運輸も同様の送り状サービスをしているとか。

その他にも

がんばろう東北!<東北の元気をクロネコヤマトが日本全国へお届け> というのもあり

宅配便はクロネコヤマトで!と思ったりもしたのだった。

2011年11月 9日 (水)

「記憶」という不思議なもの

                                     

「がんす」とう言葉使いしわが村の農夫ら逝きて農衰えぬ  -- 岡田 独甫 (三原市 

                   11月7日 『朝日歌壇』より                               

                                                                                  

それで思い出したのが

がんさんけん がんさんので がんしょう

という言葉。                                           

                                                                                                                          半世紀以上昔、昭和も20年代の話・・

毎年、夏休みになると母方の田舎へ行っていた。

というか、“行かされていた” のかも。

忙しく働いていた親にしてみれば、“子供の相手をしている暇はなかったのだろう” と、今では分る。

当時、大方の日本人は貧乏で・・(いや、ウチだけだったのか?

クラスに御大尽といわれる家の子がいたが、特別それをひけらかすわけでもなく

こちら側も特に引け目を感じもせず、対等な(?)子供社会だった。

貧乏は恥ずかしいものではなかったように記憶する。                     

                                                         

それはそれとして、「がんす」

確か、田舎のおじいちゃんが言っていた。                                                                        

検索してみると、広島県安芸地方の方言で、「ございます」の意だそう。              

            

がんさんけん がんさんので がんしょう

         

「ございませんから ございませんので ございましょう」 

「ありませんから ないので ありましょう」

「ないから ないので しょう」

ないんだから、ないんだろうよ・・ とでもいったところか。

                                                                       

『朝日歌壇』に載ったこの歌から

今の今まで、思ったことも、思い出したこともないようなことが、後から後から浮かんでくる。

五右衛門風呂、釣る瓶井戸、箱膳、川遊び、寝間の蚊帳・・

そういえば、おじいちゃんもおばあちゃんも「叱る」ってことがなかったなあ・・・

おじいちゃんの名前は「亀吉」という、まことにお目出度い名前だったなあ・・ 

そんなふうな、どうでもいいようなこと。                                   

                                                            

「記憶」って何なんだろう・・・

心理学的に言うと、「過去の印象が再生されて再認される作用」                  

                                                      

思い出そうとしても思い出せないこと。

例えば、

一昨日の夕飯に食べたもの、ほらあのナントカっていう俳優の名前、「ダンコソシ」って漢字 etc,,,etc,,,

昔のことはよく覚えているのに、最近のことはとんとダメ・・

年取った証拠とか言われるけれど、そもそもの格納場所が違うのかもしれないな。                        

                                                                       

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昨日は「立冬」

いつの間にやらもう冬だ。

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 昨夕の西空

 いかにも「立冬」の空だった。

                                                                                                                      

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