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2018年・ポーランド(1)

2018年7月 2日 (月)

ポーランドの旅 - 第4日・§3 -

5月31日(木) sun

Dzień dobry🎵

 

クラコフ(クラクフ)滞在  shoe shoe shoe

 

歩いてホテルへ帰り・・

 

bus → ヴェリチカ岩塩坑へ

 

* ランチ @Halit

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delicious パンの器入りスープ delicious コウワブキ(ロールキャベツ) delicious 黒スグリのシャーベット

 

 

ヴェリチカ岩塩杭

13世紀、カジミエシュ王(ピアスト朝最後の王)の時代から1996年まで約750年間に渡り、

本格的な採掘が行われていた岩塩坑。

ヤギェウオ朝に莫大な利益をもたらし、最盛期には王国の財源収入の約3割を生み出したと言われている。

(中世期、塩は大変貴重なもので、同じ重さの金と同じ価値があった。

採掘坑道は9層で深さ327m、坑道の総距離は約300㎞。

(現在、一般観光客に公開されているのは、地下64mから135mメートルの間の2.5kmだけ。

 

2階建てのシャフト(当時、坑夫が使用していた7、8人乗りのエレベーター)で第1階層(地下64m)へ。

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* コペルニクス像 → キンガ王女の伝説 → 採掘の様子 → 木造クレーン(馬で駆動) → カジミエシュ王の像

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キンガ王女の伝説・・

ハンガリーの王女キンガ姫がポーランド王家に嫁いだ時、強い想いをこめて投げた指輪の示した場所がヴィエリチカで、そこから塩が溢れるようになった。

 

 

 

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第2階層(地下90m)へ。

* 聖十字架礼拝堂

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* キンガ礼拝堂(坑内で最も美しい礼拝堂)

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彫刻、シャンデリア、床など、全て岩塩でできている。

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ホントかな?・・ と、確かめている子どもたち。

 

 

 

 

暗い中、露出した岩塩や流れる塩水(?)、地底塩湖や運河を見ながら・・

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第3階層(地下135m)へ。

* 天井の高い間(バンジージャンプもできるとか・・。) → 地下通路 → シャフトで地上へ

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bus → ホテルへ

 

しばし休憩の後、歩いて中央広場のレストランへ shoe shoe dash

 

* 夕食 @Marmolada

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delicious ブロッコリーのクリーミースープ delicious チキンフェレ delicious ニョッキ delicious アップルパイ

 

 

夕暮れ時(と言っても、すでに9時過ぎ)の中央広場をぶらぶら歩きホテルへ帰る。

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今日も良く歩いた、歩いた~ ~ ~ ( ^_^)/□☆□\(^_^ )

 

 

Dobranoc! (-ω-)Zzzz...。oо○...。oо○...。oо○ 

2018年6月29日 (金)

ポーランドの旅 - 第4日・§2 -

5月31日(木) sun

Dzień dobry🎵

 

クラコフ(クラクフ)滞在 shoe shoe shoe

 

shoe → ヴァヴェルの丘へ

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* ヴァヴェル大聖堂

ポーランド国王の戴冠式が行われる。

(歴代の国王、ポーランドの歴史的人物の墓がある。

 

聖体祭のミサが行われていた。

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大聖堂前の広場は、膝をついて祈りを捧げる大勢の人々・・・。

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白いドレスを着た女の子

(男の子は白のスーツ)

日本の「七五三」のようなお祝いとのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* ヴァヴェル城

歴代ポーランド王の居城。

現在の王宮は、15世紀末の大火後、ジギスムント・アウグスト王がルネッサンス様式で再建。

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お城の公式ガイドの案内で・・・ 城内は撮影禁止!

1階は行政官が使用。

2階以上を王宮として使用。

3階、「玉座の間」 宴会場など各部屋を見学。

フランドルのタピストリー、歴代王の肖像画、レバント海戦の絵画etc...etc...

 

 

shoe 旧市街へ

 

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* ヤギェウオ大学

1364年創設。

プラハのカレル大学に次技術中欧で2番目に古い大学で、コペルニクス、ヨハネ・パウロ2世も学ぶ。

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* 中央広場

中世ヨーロッパに造られた広場としては最大(200m×200m)で、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易の場として栄えた。

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* 織物会館 (14世紀、ルネッサンス様式)

衣服や布地の交易場所だったので、この名が残っている。

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* 旧市庁舎

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* 聖母マリア教会 (1222年建立、ゴシック様式)

ここでも聖体祭のミサが行われており、大勢の人々が祈りを捧げていた。

(聖体祭ミサのため教会内には入場できず・・・

 

clip 1241年、モンゴル軍が侵入してきた時、

ラッパ手が教会の塔(左側の高い方)の窓から襲撃を知らせた。

しかし、モンゴル軍が放った矢がラッパ手の喉を射抜き、ラッパ手は死んでしまった。

そのことを悼んで今もなお、毎正時に塔の上からラッパが吹き鳴らされている。

(ラッパの音は、必ず途中で途切れる・・ とか

12時に窓は開いたが、ミサが行われていたためかラッパの演奏はなかった。  

 

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clip 二つの塔の高さが違う理由・・

塔を建てるために有名な建築家兄弟が選ばれた。

兄弟は競い合って塔を建てたが、兄は自分より弟のほうが優れていることに気づき、

弟をナイフで刺し殺し、遺体をヴィスワ川に捨ててしまう。

弟が行方知れずになったため弟の塔は兄の塔より低いまま建築中止となった。

塔の完成披露の日、良心の呵責に耐えかねた兄は罪を告白し自殺した。

(弟の塔から飛び降りたという説と弟を刺したナイフで自殺したという二つの説。

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この事件の教訓として、

織物会館の丸天井にナイフが掛けられている。

 

 

 

 

 

 

 

* 旧市街北側バルバカン(円形要塞跡・15世紀) → フロリアンスカ門(14世紀)

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聖体祭ミサに集まった大勢の聖職者、市民・・

一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば、多くの麦を結ぶべし。

信仰のない私も多くのものを見、多くのことを学んだのだった。

 

        続く・・・・。

 

 

2018年6月28日 (木)

ポーランドの旅 - 第4日・§1 -

5月31日(木) sun

Dzień dobry🎵

 

クラコフ(クラクフ)滞在 shoe shoe shoe

 

clip クラコフ (1978年、世界文化遺産登録。

  1320年、ピアスト朝の首都となり、

  以後、ポーランドの全盛期だったヤギゥエオ朝の首都として栄える。

  ハプスブルグのウィーンと並び、中世中欧の文化的、かつ経済的中心地となる。

  17世紀初頭、ワルシャワに遷都。

  第二次世界大戦中は奇跡的に破壊を免れ、中世の街並みがそのまま残る。

  ワルシャワ、ウォチに次ぎポーランド第3の都市。

  人口約76万人。

 

 

朝早く目が覚めたので朝食前に散歩 shoe dash

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* 朝ご飯を美味しくいただいて Let's Go!

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* カジミエシュ地区

clip 14世紀、カジミエシュ王が建設した街。

  15世紀以降、ユダヤ人が移り住みようになり、

  第二次世界大戦前はヨーロッパ最大のユダヤ人街に。

   (当時の人口は6.5万人、現在ユダヤ人はほとんど居住していない。

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* シェロカ広場

「シンドラーのリスト」 の撮影地。

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* シナゴーグ → ユダヤ人墓地

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この地区には8つのシナゴーグがあるが、

現在祈りの場として使用されているのはこのシナゴーグ1か所のみ。

 

 

 

 

 

Aさん(現地ガイド、日本人)のお話・・ 

自ら自分はユダヤ人(ユダヤ教?)であるという人は少なく、

ユダヤ教式のお葬式が執り行われて初めて、

ああ、あの人はユダヤ人(ユダヤ教?)だったのね・・ という感じらしい。 

ロマン・ポランスキー はクラコフで幼少期を過ごし、 「戦場のピアニスト」 はクラコフで撮影された。

須賀しのぶの「また、桜の国で」は、よく取材された良い本だった、と言っておられた。                          

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メズーザー (の名残?

 

 

 

 

 

 

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カフェのテーブルは足踏み式のシンガーミシンscissors

 

 

 

 

 

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ベーグル・・

クラコフのユダヤ人コミュニティーから発祥したという説もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

shoe → 旧市街へ   

 

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             続く・・・・。 

 

 

2018年6月25日 (月)

ポーランドの旅 - 第3日・§3 -

5月30日(水) sun

Dzień dobry🎵

 

第二強制収容所・ビルケナウ (総面積・140ha 300棟を超えるバラック

ポーランド名は「ブジェジン」

第一強制収容所から3kmほど西に位置する。

アウシュビッツだけでは収容しきれなくなり、1941年に増設された。

 

我々の到着が大幅に遅れたため、

ビルケナウは、現地ガイドのマグダレーナさん(クラコフ大学日本語学科卒)のガイドで・・・。

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中谷さんの勤務時間(?)は過ぎており、

「この国の若い人から話を聞く、、、、それもまた良いことでしょう」・・ と。

(それで思い出したのが、もう何年も前ヴェトナムに行った時のこと。

(ホーチミン(旧サイゴン)の「戦争博物館」で、

(涙ぐみながら、「私たちはガイドをしながら自国の歴史を学んでいるのです」と言った若い現地ガイドの姿。

 

* 「死の門」 

列車の終着点。

人々はここで選別され、7割以上はそのままガス室に送られた。

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* お蚕棚のようなベッド → トイレ(全員一斉に) → 点在するバラック

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気持ちの良い初夏の夕暮れ時。

何時までもいつまでも線路に座り込む人・・・

エルサレムの ヤド・バシェム から記念館へと続く道の「影」のことが思い出される。

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真冬に列車で到着した人々はいったい、どんな気持ちだっただろう・・

何とも言えぬ気持ちを胸に、この地を後にした。

 

bus → クラコフへ dash dash dash

 

hotel VIENA HOUSE ANDELS

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* 夕食 @ホテル内レストラン

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delicious パプリカとトマトのスープ delicious サーモンのグリル delicious パンナコッタ

(こんな日にも食事画像、、 すまヌ!

 

 

重い気持ちでありながら、何故か胸のつかえが下りたような不思議な気持ち・・・。

歴史は、どうあっても、チャラ(卑近な言葉で申し訳ない)にはならないんだ・・ と、改めて胸に刻む。

 

 

Dobranoc! (-ω-)Zzzz...。oо○...。oо○...。oо○ 

 

2018年6月23日 (土)

ポーランドの旅 - 第3日・§2 -

5月30日(水) sun

Dzień dobry🎵

 

bus → アウシュヴィッツへ

 

国立オシフィエンチム(アウシュビッツ・ビルケナウ)博物館

clip 戦前ポーランド軍兵舎だったところに1940年、SS親衛隊司令官ハインリッヒ・ヒムラーの命で建てられた強制収容所。

  当初はポーランド人政治犯用で728名が収監。

  1942年に「ユダヤ人問題の「最終的解決」が決定され、ユダヤ人絶滅センターとなる。

  1940年~1945年の間に110万~150万人が犠牲になったといわれている。

  ユダヤ人、ポーランド人、ロマ(ジプシー)、ソ連軍捕虜、同性愛者........

  1945年1月27日、ソ連軍により解放された当時、約7000人が収容されていた。

 

アウシュヴィッツ第一強制収容所 (総面積6ha・28頭のバラック

アウシュヴィッツ(ポーランド名は「オシフィエンチム」)唯一の日本人ガイド 中谷剛さん のガイドで・・

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* 収容所入り口 ARBEIT MACHT FREI 労働すれば自由になる

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* 第4棟(当時の写真・毒ガスチクロンBの缶・人髪(遺体の一部ということで撮影は禁止)で織られた布

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* 第5棟(眼鏡・義足・義手・靴・食器類・鞄

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住所、名前が大きく書いてある。

再び手にする日が来たとき、

何処そこの誰それの物であるとわかるように・・ と。

 

 

 

おびただしい量の遺品を目にし胸が潰れる思いがした・・ というか、潰れた。

 

* ルドルフ・ヘスの家 → ヘスが処刑された絞首台 → 死の壁(収容者がこの壁の前で銃殺された)

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* ガス室 → 死体焼却炉

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* 高圧電流の鉄条網と見張塔

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絶望のあまり、

自ら高圧電流の鉄条網に身を投げ出す人も多かった。

 

 

 

 

 

大勢の見学者・・

入場は無料で、40か国語のガイド(ガイド料は有料)がいるとのことだった。

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* 中谷さんから我々へのメッセージ

この地で起こった未曾有の悲劇をナチスを悪者とすることで片付けることなく、より包括的にとらえて未来への教えとするための研究が現在も行われている。

 欧州ではこの地を継承すべき負の遺産ととらへ、学生たちに過去および未来について考える教育機関とみなし、多くの来訪者や学生を受け入れている。

難民が史上最大数に達している現在、何故ドイツが大きな経済的負担にも関わらず国策として大量に難民を受受け入れているのか・・

ドイツという先進国が何故このような大虐殺を行うことになったのか・・

戦時中、日本は何故そのドイツと方向性を共にすることになったのか・・

日本も教育の場で、このような問題について考えるときに来ているのではないか・・

 

        添乗員Yさんの「旅の記録」より

 

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タブーに立ち向かうのは戦争を経験していない世代・・

(日本の教育現場において、「近代歴史」はアンタッチャブル?

「教育」ということに関して、将棋の藤井聡太くんの受けた モンティソーリ教育 に触れられていた。

 

clip NHK(2017年2月) ※ ちょっと長いが是非!

 ただ涙を流すのではなく “分断する世界”とアウシュヴィッツ

   100万人を超えるユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所。

   その悲劇を伝え続ける日本人ガイドがいる。

   世界が分断を深める今、何を語るべきか、苦悩する姿を追う。

 

clip 朝日新聞朝刊(2018年6月19日)

「異なる音色 混迷の世界で」  ダニエル・バレンボイム(ロシア系ユダヤ人・イスラエル国籍)

  対立する相手との対話や共存は可能か、、、、

  ドイツ人の大多数は依然、世界のどこの国よりも過去に向き合っている。

  罪の意識よりも責任感からのものだ。

  ドイツに住むユダヤ人として賞賛すべきことだと思う。

 

 

            続く・・・・。


2018年6月22日 (金)

ポーランドの旅 - 第3日・§1-

5月30日(水) sun

Dzień dobry🎵

 

グダニスク airplane → ワルシャワ airplane → クラコフ

 

朝食を美味しく delicious note いただいて、ホテル出発~

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* 8:50 LO3832 グダニスク(レフ・ワレサ空港)出発

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* 9:50 ワルシャワ(フレデリック・ショパン空港)到着

 

* 10:40 LO3907 ワルシャワ(フレデリック・ショパン空港)出発

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* 11:35 クラコフ(ヨハネ・パウロ二世空港)到着

ガタンと車輪が出たので、、、 クラコフへ着いたね~

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と思いきや・・・ 機材(ボンバルディア・プロペラ機)故障のためワルシャワへ戻ったのだという。

道理で見たような景色だ。

ポーランド語と英語(聞き取れず weepで機内放送はあったらしいが、乗客は誰もザワザワしない。

日本だったら「えぇーどーいうことーーー   (゚Д゚)ハァ? \(*`∧´)/    となること間違いなし!

見慣れたゲート (というか、つい1時間ほど前にバスに乗り込んだゲート) にバスは到着。

ああやっぱり、、、、 ワルシャワに戻ったのね、、、、 gawk

 

* 13:30 LO3905 ワルシャワ(フレデリック・ショパン空港)出発

我々13名(12名+1名)全員、振替搭乗できることになり先ずは \(;゚∇゚)/ホッ・・・

Yさん(添乗員)が空港内のカフェでサーモンのサンドイッチと飲み物を調達、ランチとする。

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1時間ほどで無事クラコフ到着。

(ボンバルディア機は座席2-2(78人乗り)だったが、この便は座席3-3のジェット機だった。

 

当初の予定と大幅に狂ったがアウシュヴィッツ(空港から約55km)へ向けて出発~dash dash dash

Yさん、大奮闘お疲れ様 (*^ー゚)bグッジョブ!!

 

 

         続く・・・・。 

 

2018年6月19日 (火)

ポーランドの旅 - 第2日・§3-

5月29日(火) sun

Dzień dobry🎵

 

◆ グダニスク滞在 shoe shoe shoe

 

bus → マルボルク城へ

 

マルボルク城

マルボルク城は13世紀にドイツ騎士団が建設した城。

(「マルボルクのドイツ騎士団の城」として世界遺産認定。

ポーランドは強国(ロシア、ドイツ、オーストリア)に囲まれており、国境線は絶えず変化 していた。

ノガド川(ヴィスワ川の支流)の対岸からの眺望が一番美しい。

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第二次世界大戦時、

ドイツとソ連との戦いで破壊された当時の写真と現在の姿。

 

 

 

 

* 下の城 → 中の城 → 騎士団長の館 → 回廊

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ペリカンの井戸

ペリカンは「食べ物が無いときには、自分の肉を子どもに与える」と言われており、このことを騎士達に示したものである・・ とか。

 

 

 

 

 

 

* 厨房 → パン焼き → ビール製造 → お手洗い(水洗式)

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大勢の子供たちが社会科見学中

 

 

 

 

 

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* 上の城

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広大すぎて何が何だか、、、、、 (´ρ`) Σ( ̄ロ ̄lll) gawk wobbly

 

 

bus → 再びグダニスク旧市街へ

 

ドゥーガ通り

ドゥーガ通りは、西の「黄金の門」から東の「緑の門」までの約500㍍の長い通りで、

グダニスク旧市街のメインストリート。

(ドゥーガ・・Długaはポーランド語で「長い」という意味。

かつてポーランド王が通ったということで「王の道」とも呼ばれている。

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奥に見えるのが「緑の門」

 

 

 

 

 

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奥に見えるのは大武器庫(17世紀)

 

 

 

 

 

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旧市庁舎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* ドゥーギ広場

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ネプチューンの噴水

白い建物はアルトゥール(アーサー王)の館」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緑の門」をくぐってモルタヴァ運河へ・・

奥のほうに黒い建物が見える。

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15世紀に造られた木造クレーンで・・

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中には直径5㍍の大きな車輪があり、

そこに4人が乗って車輪を回す。

(ハムスターのように?

最高で2tの貨物を引き上げることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あちこち散策しているうちに夕方となり・・ と言っても、まだまだ明るいが・・・

 

 

* 夕食

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delicious トマトスープ delicious ポークカツ delicious チーズケーキ

 

夜も更けて・・ と言いたいところだが、9時を過ぎてもまだまだ明るい。

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歩いてホテルへ帰る。

 

Dobranoc!  (-ω-)Zzzz...。oо○...。oо○...。oо○ 

 

2018年6月16日 (土)

ポーランドの旅 - 第2日・§2-

5月29日(火) sun

Dzień dobry🎵

 

◆ グダニスク滞在 shoe shoe shoe

 

連帯記念碑 (3本の十字架と錨のモニュメント)

政府の厳しい弾圧に抵抗して生命を落とした労働者を弔うために建てらた。

1980年8月、レーニン造船所の電気技師だったレフ・ワレサが独立自主労働組合「連帯」を結成。

「連帯」運動はポーランドの民主化、

更には東欧全土におよぶ革命(1989~1990年のきっかけとなった。

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ヨーロッパ連帯センター(旧レーニン造船所)

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日本のJR連合の記念プレート

 

 

 

 

 

 

 

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「連帯」の「21の要求」

ユネスコの記憶遺産として登録されている。

 

 

 

 

 

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* レフ・ヴァウェンサ(Lech  Wałęsa)の家  

「ワレサ」と言ってもポーランドでは通じないとのことだった。                                                     

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シフィエンティ・ブリギティ教会

14~16世紀建立。

聖ブリジット(14世紀に殉教したユーロの守護聖女)に献堂された教会。

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琥珀で覆われた聖母子像の主祭壇。

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聖ブリジットの聖遺物(顎の骨)、連帯運動中を指示した司教の礼拝堂など・・・。

 

 

マリエンツカ(聖母マリアの意)通り

当時の街並みを再現したグダニスクで最も美しい通り。

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聖母マリア教会

1314年から160年かけて(1502年完成)建立された。

煉瓦造りの教会としては世界最大で、2万4千人収容可能とか・・・。

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   ※ 画像はウェブより

   教会内画像 

 

「黄金の主祭壇」「天文時計」「最後の審判(メムリンク作)」 等々。

ミサが行われており、後方より静かに見学。

 

 

* ランチ @Gdanski Bowkeモルタヴァ運河沿い)

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delicious バルシチ(ビーツのスープ) delicious バルト海のサーモン delicious アイスクリーム(琥珀色ソース)

 

     続く・・・・。

2018年6月15日 (金)

ポーランドの旅 - 第2日・§1-

5月29日(火) sun

Dzień dobry🎵

 

グダニスク滞在 shoe shoe shoe

clip グダニスク(グダンスク)

  バルト海に面したポーランド最大の港湾都市。

  琥珀産業の中心地で人口約50万人。

  997年に宣教師アルベルトが訪れ布教活動を行い、このことが街の起源とされる。

  1308年にドイツ騎士団領となり、以後、ハンザ同盟都市として繁栄。

  1793年から第一次世界大戦まではプロイセン領。

 

* 朝ご飯を美味しくいただいてレッツゴー dash dash dash

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ヴィステルプラッテ

 第2次世界大戦勃発の地。

1939年9月1日早朝、ドイツ軍艦シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(入港5日目)が予告なく攻撃を開始。

(1939年当時はグダニスクという名前ではなく、自由都市ダンチヒという名前で国際連盟の保護下に置かれていた。

圧倒的に優勢なドイツ軍は12時間以内の陥落を見込んでいたが、ポーランド軍は7日間持ちこたえた。

(ドイツ軍3000人に対しポーランド守備隊は僅か186人・・

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← 対岸に平和祈願の戦没者慰霊塔がある。

 

 




                                                         

車窓より

* エネルガ・スタジアム(観客席数43000席)

 UEFA EURO 2012大会のために新設された琥珀色のサッカー競技場。

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* 旧ソ連時代の長さ1㎞にもおよぶ公営住宅・・ その当時は9000人が居住していたとか・・・

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* こちら、今風マンション・・

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オリーバ大聖堂 (ベネディクト派修道院付属教会)

12世紀創建。

15世紀にゴシック様式大聖堂として再建、17世紀にバロック様式で改築。

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* 聖母子像を掲げた主祭壇

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* パイプオルガンコンサートnote

パイプオルガンは3台で構成されており、パイプ総数は7876本で107の音色を出す。

音楽に合わせて天使の持つ楽器や星が動く仕組みになっている。

定時にパイプオルガン演奏が行われており、聖堂内は既に満員・・ 冷たい床に座って聴く。

素晴らしい音色にうっとり~lovely

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大聖堂の入り口付近にいたカワイ子ちゃんたち happy01

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    続く・・・。

 

2018年6月13日 (水)

ポーランドの旅 - 第1日-

    Republic of Poland  ポーランド共和国

ポーランド共和国spc
 clip 国旗の意味・由来
 
   ポーランドの伝説的建国者⋆レヒ⋆が、赤い夕日を背景に飛ぶ白い鷺を吉兆と思い
   赤地に王冠付きの白鷺を紋章にしたという言い伝えに由来する。
   上半分の白は「白鷺」、下半分の赤は「赤い夕日」と「自由を求める戦いで流れた血」を表す。
   1919年に国旗として制定された。
 
 
 clip ポーランドについて(ポーランド政府観光局公式サイト)
 
    ポーランド共和国地図
 
      国土面積・・ 日本の約5分の4
      人口・・ 約3800万人
 
 
 

5月28日(月)

成田 airplane → ワルシャワ airplane → グダンスク(グダニスク)

 

* 11:45 LO80 成田出発 (機材到着遅れにより1時間遅れで出発)

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今回 とてもとても頑張って プレミアムエコノミーで行く。

離陸前にシャンパンを飲み・・

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さてさて・・・ と、座席を操作してみる・・ が、、、押しても引いても倒れない。

男性乗務員がやってきて、座席を力任せに倒そうとする・・  が、、、ウンともスンとも動かない。

ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ… ってな感じ。

とても上手な日本語を話すCA(ポーランド航空には日本人CAはいない)が・・・

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満席なのでチェンジシートはできない。

ビジネスクラスの食事とブランケット、次回ご旅行の際に使える20㌫割引券で勘弁して、、、

みたいなことで一件落着  (v^ー゜)ヤッタネ!! happy02

昼便なので座席が倒れようが倒れまいが、私としては大勢に影響ない、、、 というのが本当のところ (*≧m≦*)

 

 

というわけで、一回目の食事。

ワインの種類も幾つかあったが、チョーヤの梅酒をいただく。

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シベリア上空 ・・                                                         

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2回目の食事。

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* 15:55 ワルシャワ(フレデリック・ショパン空港)到着  時差-7時間

 

* 16月:35 LO0385 ワルシャワ発

 

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* 17:35 グダンスク(レフ・ワレサ空港)到着

 

→ ホテルへ

 

夕方7時過ぎだが、まだまだ明るい。

ホテル到着後、ビーチ(バルト海)の方へ散歩に出る。

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途中で迷子になる coldsweats02

が、、、 何とかホテルに辿り着く  coldsweats01

 

hotel MERCURE POSEJDON

 

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Dobranoc!  (-ω-)Zzzz...。oо○...。oо○...。oо○ 

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