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2018年11月

2018年11月30日 (金)

九度山・高野山を歩く - 第2日 (その2) -

11月2日(金)

 

→ 御廟の橋を渡り聖域へ・・

 

橋全体を1枚、橋板36枚とし、「金剛界」の37尊を表す梵字が書かれている。

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「御廟の橋(みみょうのはし)」を渡ると、そこは聖域中の聖域とされ写真撮影は禁止。

 

* 燈篭堂・弘法大師御廟

橋を渡った先の石段を登る手前に「弥勒石」が安置されているお堂がある。

(この石に触ると「弥勒菩薩」とご縁が結ばれる。

石段を登り「燈篭堂」に入り、お堂の裏へ回り込んだ先に「弘法大師御廟」がある。

「燈篭堂」の地下には、夥しい数の「燈篭」と「身代わり大師」が奉納されており、

その最奥部に「お大師様」に一番近づくことができる祭壇がある。

 

→ 再び参道を行く。

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日産自動車の物故従業員慰霊碑

(毎年11月3日に慰霊祭が催されるとか・・・

 

 

 

 

 

 

昼食 @中本名玉堂

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* 徳川家霊台

1643年(寛永20年)、三代将軍徳川家光により建立。

三間四方の一重宝型造・屋根は瓦棒銅板葺きで、右に徳川家康、左に秀忠を祀る。

江戸時代の代表的な霊廟建築として重要文化財指定。

                                                       

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* 波切不動尊

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空海が唐から帰国の際、

嵐を鎮めるため自ら霊木に不動明王を彫り船首に掲げたところ、

不動明王から炎が噴き出し、荒れ狂う海を手に持っていた剣が切り開き無事に帰国できた。

このことから「波切不動」として祀られ、光背に火炎がつけられるようになった。

本堂の天井には鳴き龍が描かれている。

 

 

→ 金剛峯寺への路

 

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    ・・・・・ 続く。

2018年11月29日 (木)

九度山・高野山を歩く - 第2日 (その1) -

11月2日(金)

 

終日、地元語り部と共に高野山見学

 

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6時50分、朝の勤行に参加後・・

* 朝食

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* 高野山

周囲を1000m級の山々に囲まれた標高900mの準平原。

816年(弘仁7年)、真言宗の開祖弘法大師(空海)が嵯峨天皇から下賜された地に道場を開く。

20年後、自身が入定留身(即身成仏)をされ日本仏教の聖地となる。

山内の寺院数は総本山金剛峯寺、子院117(その内52が宿坊を兼ねる)

 

* 一の橋より参道(約2㎞)を歩き奥の院へ

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樹齢数百年の杉の大樹に囲まれた参道の両側には、

「お大師様の下で眠りたい」という、時代・宗派・階層を超えた20万基以上の墓碑。

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← 20町石

奥の院から壇上伽藍までの36の町石は、「金剛界」を表現。

                                   

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災・阪神淡路大震災の物故者慰霊碑

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* 生身供

現在も御廟で(生きて・・)衆生救済を祈り続ける「お大師様」の食事を、御供所から御廟まで食事を届ける。

一日2回、6時と10時半。

嘗試地蔵(あじみじぞう)の前で行われる、御供所で作られた食事を毒見する出発の儀式。

毒見の後、2人の僧が食事が入った白木の箱を担いで御廟へと進んでいく。

(先頭を歩くのは唯奈(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧で、御廟の中の弘法大師の姿を知っているのは唯一、この維那だけと言われている。

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* 水向地蔵

供養したい故人の名前や法名を書いた塔婆(経木)を水向地蔵の足元に置き、

塔婆に3回水を掛けながら・・ (※お地蔵さまに掛けてはいけません。

『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたやうん』

    と大日如来の真言を唱える。

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        ・・・・・ 続く。

2018年11月28日 (水)

九度山・高野山を歩く - 第1日 -

11月1日(木)

東京 → 新大阪・梅田 → なんば → 橋本 → 九度山   → 高野山

 

東京駅 「のぞみ13号」 7時50分発

新大阪駅 10時23分着

梅田より御堂筋線で「なんば」へ。

なんば駅 南海急行 11時30分発

橋本 12時20分着

 

→ 九度山へ

 

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」

九度山は紀の川の南岸にあり(北岸は大阪府泉佐野市)高野山領の入り口である。

関ヶ原の戦い(1600年)で西軍に参加し敗れた真田昌幸・信繁(幸村)親子が流罪になった地。

高野山の開祖・空海の母が暮らしていた慈尊院があり、

空海は月に9度、母に会いに来ていたことから「九度山」という地名が付いたといわれている。

 

* 昼食

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* 真田庵 (善名称院)

真田父子が閑居した屋敷跡に建つ寺院。

1741年、大安上人が地蔵菩薩を安置した堂を建てたのち、寺院(善名称院)となる。

門には幸村の旗印である「六文銭」が刻まれている。

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* 慈尊院 (世界遺産)

空海が高野山開山の時(816年)、参詣の入り口となるこの地に政所や宿坊が置かれた。

高野山は女人禁制(明治まで)であったため、空海の母も高野山へ上ることは許されず、ここで生涯を閉じる。

母の死後、弥勒菩薩を安置する弥勒堂を建立、「女人高野」と呼ばれるようになった。

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* 高野山町石道 (世界遺産) 

慈尊院から高野山へ続く道。

高野山への道標として1町(約109m)ごとに高さ約3mの五輪卒塔婆形の石柱(町石)が建てられ、

高野山の壇上伽藍・根本大堂までの約22㎞の町石道に180基配置され「胎蔵界」を表現している。

(現在、鎌倉時代のものが150本現存。

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 180町石

 表参道を登る際の最初の町石。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* 丹生省符(にうかんふ)神社  (世界遺産)

慈尊院から119段の階段を登る。

慈尊院の鎮守社で、丹生都比売(にうつひめ)、高野御子を祀る。

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丹生管省符神社社殿

 

179町石までの町石道を歩く。

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名産の富有柿。

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* 丹生都比売神社 (世界遺産)

紀伊国一之宮、天照大神の妹神を祀る。

空海(弘法大師)は丹生都比売大神より神領である高野山を借り受けたといわれている。

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→ 高野山へ

 

宿坊・赤松院

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* 夕食

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ベルギー人ご夫婦

(高野山は外国人観光客がとても多い。

 

 

 

 

 

 

食後、蛇腹路と根本大堂のライトアップ

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おやすみ~ 

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2018年11月22日 (木)

国立大学通り・グルメ & キウイ狩り

11月13日(火) 

ぶらっTokyoさんぽ の「国立大学通り・グルメ & キウイ狩りツアー」に参加する。

 

JR国立駅・南口 → 一橋大学東本館(大学通り東側) → 百年桜 → 国立高校(甲子園出場記念碑)

→ 歩道橋を渡り → (大学通り西側) → 一橋大学西キャンパス兼松講堂旧門衛所

→ ランチ@ロージナ茶房 → 澤登キウイ園(キウイ狩り) → 国立学園小学校 → 富士見通り

→ ブランコ通り → ティータイム@白十字 → 国立駅 

         5.5㎞

 

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一橋大学東本館

 

 

 

 

 

 

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歩道橋から国立駅方向

(春は桜・秋はイチョウの黄葉

 

 

 

 

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兼松講堂

 

 

 

 

 

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旧門衛所

 

 

 

 

 

 

 

 

 @ロージナ茶房

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ザイカレー  ナポリタンスパゲッティ  野菜サラダ  コーヒー

 

 

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澤登キウイ園

 

 

 

 

 

 

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 @白十字

シュークリーム

シュークリーム  紅茶

 

白十字にて解散。

例の年金友の会(?)のジジババ(7人)で二次会

楽しい一日だった。

 

2018年11月18日 (日)

アプトの道

11月13日(月)

O夫妻と我が夫婦の4人で アプトの道 を歩く。

アプトの道は、横川駅西側の【起点】から熊ノ平【折り返し】を歩く遊歩道。

トロッコ列車線に沿って歩き、旧丸山変電所 → 峠の湯 → 1・2号トンネル→碓氷湖

→ 3・4・5号トンネル → 碓氷第3橋梁(めがね橋) → 6・7・8・9・10号トンネル → 熊ノ平

 

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8時15分、Oさんの で出発

10時過ぎ「峠の湯」駐車場到着。

トイレを済ませウオーキングスタート

見頃の紅葉が青空に映え 絶好のウオーキング日和

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3号トンネルを抜けたところで「めがね橋」が見える。

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渡り切ったところにボランティアガイドの方がおられ、

新・旧信越本線の廃止の経緯や6号トンネルの煉瓦積みのことetc..... のお話を伺う。

(紅葉も素晴らしいが、自分は芽吹きの頃が一番好きだ・・ と、おっしゃていた。

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10号トンネルを抜けると・・

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熊ノ平到着。

お昼ご飯(コンビニのおにぎり)を食べる。

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もと来た道を戻り・・

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下に降り、「めがね橋」を見上げる。

200万8000個の煉瓦で造られた日本最大(長さ91m、高さ31m)の4連アーチ式の鉄道橋。

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JRのバス停。

(時刻表を見ると一日1本・・ 利用する人、いるんんだろうか、、、、 と余所ながら思う。

ツバメのマークが懐かしい。

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再びアプトの道へ。

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3号トンネルを抜けたところで碓氷湖へ下りる。

紅葉が素晴らしい!

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碓氷湖を一周し再びアプトの道へ・・

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1号トンネルでマレーシアからのグループ(女性ばかり11人)に会う。

5日間の予定で、大阪(関空in)京都、東京、奈良(関空out)の何ともハードなスケジュール・・ w(゚o゚)w

この「アプトの道・トレッキング」が目的とのことだった。

最近、外国人の観光地選びは様変わりした(SNSの普及により)ということを実感する。

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「峠の湯」を通り過ぎ「旧丸山変電所」へ。

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碓氷峠を行き来する列車に電力を供給するため、明治44年に建てられた機械室棟と蓄電室棟。

国の重要文化財。

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来た道を「峠の湯」まで戻る。

途中、先程のマレーシア人グループと会う。

(横川駅まで歩き、今日は東京泊まり。明日、新幹線 で京都から奈良に行き、関空から帰国

 

帰路、「おぎのや」へ寄り夕食用にと釜飯を買う。

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美味しいかどうかは、、、、、 定番ということです。


                                                        

楽しい一日だった。

 

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